この話を、どうやって綴ろうか、どう表現すべきか
どんな切り口で書き出せば良いのか・・・
などなど考えていたら、もう書けなくなりそうになったので、
とにもかくにも想いのままに綴ってみたいと思います。
とある日に聞いた相談事
(クライアントさんでは無く、ただの知人です。)
好きな人がいるけれど、告白するべきか否か・・・
来年の転勤が決まってしまった・・・
どうしよう、どうしよう、どうしよう・・・
職場の先輩や友人に相談するも
「アドバイスしても結局いつも全然違うほう選ぶじゃん」
「色々話しを聞いたところで私たちの意見は反映されないじゃん」
長年の付き合いの中で、周囲は、その人に対してそうイメージづいてしまったようです。
そして、それには自分でも気付いているそうです。
そして、どうしよう・・・どうしよう・・・
相手は、どう思ってるかな、告白するべきか否か・・・
と、また堂々巡りで、食事も喉を通らなくなって痩せてしまったと。
自分でも分からなくなって泣いてしまって・・・。
私は、その人の生年月日を知っていたので、宿命も知っているわけですが
クライアントさんでは無いですし、聞かれてもいないことを伝えるのは、御法度。
(その人は、私が占い師だということも、知りません。)
「あなたの宿命には、害と納音があるんだよ、そりゃ苦しいよね。」
と言ってあげたい気持ちを、グッとこらえて淡々と話を聞いていました。
命式内にある位相法は、宿命で神様から与えられた自分の癖みたいなもの。
それは、変えることは出来ないわけで、
合法ならまだしも、散法だらけとかなら、
「じゃあ、どう生きろと!!??」
神様に八つ当たりしたくなる気持ち、私だってありましたよ、その昔は。
算命学の先生の言葉や、資料などには
「持たされた星や宿命に、良いも悪いもありません。」
「持って生まれた宿命は、燃焼させて輝かせましょう。」
「宿命なのだから、そう生きるだけ。」
「宿命なのだから、それで良いんですよ。」
「そこから学ぶことがあります」
などと、言われたり書かれていたり。
じゃあ、だからといって
刑があるから人に厳しくて当たり前!
人に厳しくしちゃうのは、自分のせいじゃなくて宿命のせいだから!
そんなふうに開き直って良いのか!?
それが宿命を輝かせる生き方なのか!?
いや、使い方、そうじゃない・・・って、散法ばかりの私は思いますよ。
だって、疲れちゃうもん、本当に、心も体も疲弊する。
そう話した時、合法ばかりの先生は
「え?疲れるんですか?」って驚いていました。
疲れますよ、人間だもの・・・
好きで人とぶつかるわけじゃないし、
好きで引っ掻きまわして動乱つくっているわけじゃないんですから・・・トホホです。
この「害と納音」を与えられ人だって、
その通りに迷って悩んで進みだせずにいて、ずっとずっとこうして悩んで生きていくのか?
それが宿命ならば、それが正しい生き方で、それで良いのか?
私は、たまたま算命学や宿魂抄に導いてもらって、自分のことを知った。
たまたま。
だから教科書通りに、言われた通りに
「持たされた星や宿命に、良いも悪いもありません。」
「持って生まれた宿命は、燃焼させて輝かせましょう。」
「宿命なのだから、そう生きるだけ。」
「宿命なのだから、それで良いんですよ。」
「そこから学ぶことがあります」
使い方次第で、考え方、捉え方次第で、こうも生きやすくなるか!?っていうことを、
私は「たまたま」自分を知ることが出来たから、そう実感できたけど、
世の中、それを知らずに生きている人のほうが、よっぽど多いし
自分の宿命なんて知る由も無く。
いつも、こうなんだ・・・
私って、こうなんだよね・・・
なんで、こうなんだろう・・・
なんで、こうなっちゃうんだろう・・・
でも、みんなも、同じだよね?
みんな、そうだよね?
そうだよ、そうだよ。
そんな感じで、いつも自分に疑問をもちながらも
どこか人に合わせて、それで良しとしてしまっている自分もいて・・・
「害と納音」をもつこの知人だって
知らずに、生きていくのかな・・・
もしかしたら、知るときがあるのかな?
いや、知ろうともしないかな・・・
だとしたら、
どんな意味があって、どんな学びの為に
神様は、このような宿命を与えたの???
私の母親も、娘も、宿命納音をもっています。
母親の方は、もう年齢もいっているので、死ぬまで生き方・考え方・捉え方は、変わらないと思います。
娘には、事あるごとに「それがあなたの悪い癖だよ!」と教えます。笑
まだ若いから、生きる道しるべにしてくれたら良いかなと、期待を込めて!
「害と納音」
あんなにも苦しんでいるのに、この人は、ずっと一生
その苦しみの正体が自分の宿命だなんて、知らないで生きていくのかなと思ったら、
ちょっと切なくなったけど、
それもまた、その人の人生ですからね・・・。
他にも、その人には難しい癖がありました。
本当に、なんの為に、そんな宿命もたされるの!?
で、それを知らずに生きていくって、ずっとずっと辛いじゃん!!
会社でも上司から
「そういうところを、ちょっとずつ改善していけるといいね。」
「あなたのそういった面を、少しずつ変えていけるといいね。」
と、やんわりと言われているようで
それもまた、宿命や魂にバッチリ出ている癖なんですよね・・・。
その癖は、自分も周りも気付くくらい、
それは、痛いほど分かっている事で
自分でもイヤになると言っていました。
改善策は、あるけれど・・・
それは、まず自分を知って自分を受け入れないと始まらないこと。
そして、それを、いつどのタイミングで知ることが出来るか!?
知らずに生きるのか!?
私には、分かりません。
宿命って、なんのために与えられているのか
なんのために与えられたのか
どんな学びの為なのか
この人は、それを知るときがくるのか!?
このまま一生、こうなのか!?
久しぶりに「う”う”う”う”う”う”う”ううううううんっ!」っとなりました・・・
と、いうお話です。
まとまりなく、答えも無い話です。
このブログを読んでくださっている方々は、
少なくとも自分の宿命や癖について、なんらか知ることが出来た人だと思います。
少しずつ、少しずつ、自分を理解して
自分の人生を、もっともっと豊かに生きやすく
明日がくることが楽しみであるような人生にしていただきたいと、心から願っています☆彡
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