自分に期待しない

良く見聞きすることで「相手に期待しないこと」

なんていうフレーズがありますが、

道子的発想からすると「自分に期待しないこと」のほうが、

よっぽど楽で、よっぽど容易に受け入れられるなと思うのですが、

どうでしょうか?


相手に期待しないこと
自分に期待しないこと

みなさんは、どちらの感覚の方が、ピンときますか?



例えば

相手が喜ぶかなと思ってやっていること

相手に褒めてもらえるかなと思ってやっていること


相手の反応や言葉に期待なんかしないほうが良いよね

ってことだと思うのですが

それはそれで、どこか、ちょっと切ない気がするのですよ・・・


相手の喜ぶ顔を想像して

相手の嬉しそうな弾む言葉を想像して

みんなの為に家族の為にと

それが自分を動かす(生かす)原動力になるだから


「相手に期待しない」という理論は、理解できるのだけど

じゃあ、誰の為に?なんの為に生きてるの?

みたない気持ちにもなってしまう気がするんですよね・・・


だから私は「相手に期待しない」というのは、ちょっとピンとこない言葉かなと

思っていたのだけれど・・・!

最近やっと、そうか!そういうことなのか!?と思い始めていることがあります。



期待するから
思った通りの結果にならないと
落ち込む自分がいる


ということは

「結果を勝手に期待してしまっている自分がいる」

ということなのだなと・・・!!


相手の反応や、自分の行いの成果

例えば子供の成長や、部下や上司への期待


自分が勝手に想い描いている筋書きが

自分の中に在るんだと・・・!!


だから、自分が想定していた結果と違っていたとき、

自分が思い描いていたストーリー通りに物語が進まなかったとき、

悲しさや怒り

どこにぶつけて良いのか分からないような

モヤモヤとした気持ちになるのではないかなと・・・

道子は、考えるわけです。


そう考えると、じゃあ、そもそも

「自分に期待しないこと」が、一番手っ取り早いのでは!?

というところに辿り着きました。

(自分で勝手にストーリーを作らないことって感じかな)



「みんなの為に」「家族の為に」「仲間の為に」といった原動力は、あって当然。

そこに自分で勝手に付随させてしまう「想い描いた筋書き」がクセモノのなだろうなと・・・


そこが、感情の乱れの要因となるのだろうなと・・・


だとしたら

「相手が」というより「自分の問題」だよなと・・・



物事によっては、良い結果になりますように!!と願いを掛けることもあるし

絶対に大丈夫!!と、未来を信じることもある。


それは、とっても大切なことで「自分を信じる力」になると確信しています。


そうではなく、相手が在る状況においては「自分の想い描く筋書き通りにならなくて当然だ」くらいのスタンスが、丁度良いのではないかなと思う今日この頃です。


自分を信じる力

自分に期待しないこと


バランス良く自分を保つことが

自分の「心の質を高める」のではないかなと思います♡

虹色道子

タマシイに喜びを ココロ軽やかに その行く道を虹色に