「中庸の徳たるやそれ至れるかな」


中庸についての「まとめ」です。

「中庸の徳たるやそれ至れるかな」

孔子の言葉 
どちらにも片寄らない中庸の道は、徳の最高指標である。
この孔子の言葉を解釈し、その意味を考えようとすることが、 
思考の訓練であり、学びそのものでもある。 


中庸とは、

ニュートラルな状態や、無関心でいるということではなく、

ことなかれ主義でもなく、中間をとるということでもない。


やりすぎは、良くないし

かといって、遠慮しすぎるのも、良くない。 


何事も、やりすぎないためには、

己を自制する強い意志と、毅然とした態度が必要となる。


いつまでも変わらない「ほどほど」ということが、最高の人徳を得ることでもある。


「中庸」を学ぶ意義は「天命を知る」ということ。 

 天の神様が、人々に与えものが人の本性(宿命)であり、

その本性に自然に従うことを、人の道という。


「道」とは

目標に到達するための過程のこと。 

道を外れると、天命を発揮することができない。

その道は、学問によって学ぶもの。


人が歩まねばならない道を修めるのが教育であり、

人が人として完成するためには、天から与えられた魂を育て、向上させる必要がある。


「天命」とは

 この世に生を受けるとき、天の神様から与えらた「生きる意味」


それを知ることがなければ、進むべき道を見つけることはできず、道を踏み外してしまう。 


だから孔子は「天命を知れば道が開ける」と、
自分を知ることの大切さを説いているわけです。


「中庸」とは 

天命に従う人の道を説いているということ。 


最も至誠(極めて誠実な事。またその心。真心。)のある人のみが、

自分がどのような人間であるのかを知っている。 


「至誠のある人」とは

最も完成された人である「聖人」を指します。


「誠」とは

自分にも、他人にも、嘘偽りのない心。「真心」ということです。


孔子は、嘘偽りのない心こそが天の道であると説いています。



どちらか一方に偏ることなく、丁度良いところ見つけることが出来ると、
進むべき道が、自ずと見えてくるということ。

しかし、そこに辿り着くには、とても難しい道のりかもしれません。

それでも、この世で生きているということは、
そこを目指し、探し、歩んでいるということですから、

誰かと意見が合わなくても、居心地の悪い場所だとしても
何が良いとか悪いでは無く、そうした現状があるという事実を理解し受け入れ、
自分の天命や宿命、強さ弱さを知り、
バランスを整え、学び知ることを忘れずにいれば、
目指すものが見え、欲しかった場所を手に入れることができ、

そして、本当の中庸の世界で生きることが出来るのではないかと、道子は考えます。

そういえば

むかーーーしに聞いた話

「貧困から抜け出すには、教育しかない」

という言葉が、何十年経っても忘れられません。


頭の悪い人は、知りたがらないし教育を受けたがりません。

そして品が無い。


道徳や礼儀礼節を重んじる知的な人は、

率先して知ろうとし、学ぼうとします。


品性ある知的な星といば「玉堂星」
学びの星です☆彡

虹色道子

タマシイに喜びを ココロ軽やかに その行く道を虹色に