中庸とは・・・

前回のブログを綴りながら、

下書きにあるブログを、完成させなくちゃなと思って・・・

今日も、パソコンに向かいます。笑



算命学では

「この世の全ては陰と陽」
「どちらが良い悪いは無い」
「中庸であること」

と、事あるごとに教わります。


なかなか解釈が難しいというか

教わった当初には

「良い悪いじゃありません」

「どっちを選ぼうと間違いではありません」

と、言われると


「は?じゃあ、なんでも結局そう答えたら良いってこと?」

反抗精神というか、白黒ハッキリしないモヤモヤ感がありましたね。


だって、占いに来る人は

「迷ってるんだから答えをくださいよ」

という気持ちですよね。


私も過去には、鑑定士さんに会いに行くときには、そういった心情でしたから。


右なのか左なのか?

行くべきか行かざるべきか?

どうしたらいいの?

どっちが正解?


自分では答えがサッパリ分からないから聞いてみようと思ったし

自分では、こっちかなと思うけど

なんとなく自信がないから、聞いてから考えようかな・・・って感じですよね。


そこに「中庸」という言葉をもってきてしまうと

迷っている人に対して

「右でも左でも、どっちでも間違いではないですよ」

と答えるようなものじゃないの!!??


なんて、算命学を学び始めた当初は、

なんだか苛立ちさえ覚えた記憶があります。

(身の程知らずの未熟者でした。恥)


ただし、鑑定士には、相談に対して答えや解決をだすことや、

結果を決定する権利は無いということも、

師から心得を教わり、全くその通りだと確信しています。


そして、今では

運命を扱う身となって

自分の運気を知るようになって

たくさんの相談を受けるようになって

「そうか、中庸とは、こういうことなんだな・・・!」

という答えが、自分の中に見つかりました。


それが、どういったものかは、文字だけでは説明できないし
長年かけて「あぁ、そうか、そうなのか」と
少しずつ少しずつ確証したものだから、
このブログ1つだけで理解できるようなことでもないと思うので、省きます。



私の命式には「沖」もありますから

いつもいつも食い縛っていた奥歯や

いつもいつも力が入っていた肩から

「中庸」ということに気付き始めてからは

フッ・・・と力が抜けて


な~~~んであんなにムキになってたのかな~

な~~~んであんなにイライラしてたのかな~

な~~~んであんなに型にはめ込んでたんだろ・・・

な~~~んであんなに小さなことに拘ってたんだろ・・・


ってね、

これまでのことがバカバカしくも感じるようになっちゃってね。笑



白黒ハッキリさせなくて良いことあるし

今すぐ答えを出そうとしなくても良いこともある。


けれど、状況によっては

今すぐ白か黒か自分で決めなくちゃいけないこともある。

迷ってる場合じゃないこともある。


例えば、

私は自営業だし、スタッフや顧客様に対して、

あまりにも無責任すぎることは、絶対に出来ないわけで、

自分の決断1つが、要にも引き金にもなるときがある。


だから私は「信じる者は自分のみ」と決めている。


でも、それ以外では

完全に脱力するくらいが、私には丁度良いなって、気付いたし

そうしていたら、ものすごく生きやすくなったから。


緊張と緩和

その絶妙なバランス


命式に「沖」や「刑」

もちろん「天剋地沖」もね、そういった癖がある人は、

ちょっと気にして整えてみると良いかも☆彡



バランスを取ることばかりに気を取られたら、それは偏り。


あまりに中庸でいることに拘れば、自分というものが無くなってしまうし、

俗に言う「自分軸」みたないものばかりに拘れば、

それもまた、自分を見失うキッカケになる場合もある。


良い塩梅

良い匙加減で

自分を、どう調理して、どんな味付けが今の自分には合っているのかな、っていうところを

探り探り見つけていく作業は、案外と楽しいものですよ。


良く、こういった算命学などの勉強を始めるときには

「まずは、自分を受け入れて」

「自分を知ることは、嫌なことかもしれないけれど」

なんて言われて、

あっちの命式が良いな、あの星があったらな、

この誕生日が良かったな、なんて思うことも、あるかもしれないけれど、


自分のアンバランスや過緊張に気付けるチャンスって

なかなか万人にあるわけでもないと思うので、

どうせなら、知ることが出来たのなら

自分の要素(エレメントや癖)の配分・配合を、楽しんでみるのも

これまた「中庸の世界」ではないかなと思ったり☆彡



ガッタガタの歪みも、少しずつ整えながら

ちょうど良いところをキープしていくことが出来るかな!?

キープするには、左右にちょっと揺れながらのほうが、バラスを上手く取れるよね。


自分を操ること、キープすること、バランスを整えること

そんなことしてたらね、自分のことで精一杯で

人のことなんて、気にならなくなるから!って話です♡


「あの人は、どうだ、この人は、どうだ」

と言っている自分は、ぐらんぐらんに揺れて、ガッタガタに歪んでいるってことだよね。


それでもまだ、あの人のこと、この人のこと、気になりますか?

それでもまだ、小さなことや世間体に、拘り続けますか?


誰かと繋がることでバランスを保とうとする人もいるし

誰かと離れてやっとバランスが整う人もいるわけで、

でも、それを選ぶのは、自分ですから、

自分の人生を操って整えることが出来るのは、自分だけなんですよね☆彡



中庸とは

自分と、自分を取り巻く環境や心情を

バランス良く整えていくこと。


自分が置かれた立場と自分の宿命を整えて、

無理のない生きやすいほうを選ぶことが、中庸の世界。


あんな人、こんな人がいるのも中庸の世界。

あんな自分、こんな自分がいるもの中庸の世界。


不完全なものがあるから完全もあるけれど、

不完全なままで良い場合もある。


正義や正解が、本当に正しいのか?

嘘や悪が、本当に悪いことなのか?


解決させたい、答えを出したいと、もがくことがあるのなら、

その答えに辿り着くまでに経験したこと感じたこと、

得たもの失ったもの、そういったことに着目すれば、

答などハッキリと見つからなくても良いこともある。


その心に在る自分に嘘の無い生き方

自分の心に誠実でいられる生き方

もっと図々しくても良くて

もっと謙虚であっても良いわけです。


しかし、人を傷つけることは、自分を傷つけることになるわけですから

ほどほどに己を自制することは、最も重要なことかなと。


あぁ・・・尽きないですね、こういった話は。

宇宙の果ては、どこにある状態です。笑


宇宙の果てなんて、あるのかないのか、

それだって、神秘のままでいいんですよね☆彡


そこを楽しめるか否かも、

人生を楽しめるか否かに通じるものがあるように、道子は考えます。


虹色道子

タマシイに喜びを ココロ軽やかに その行く道を虹色に