上記のサイト、とっても分かりやすかったです↑
みなさんは「罰が当たるかも・・・」「罰が当たったんだ・・・!」
と思ったことは、ありますか?
悪いことをしたという罪の意識があるから、自分でそう感じるわけですよね。
天の神様仏様に、悪い行い・悪い心を見抜かれて
「天罰だ・・・!」「罰が当たった・・・!」
と思うわけですよね。
悪いことをしたら、罰が当たる
悪いことをすれば、必ず自分に返ってくる
天の神様は、ずっと天から見てるから、
絶対に嘘はバレるし、悪いことをしたら、罰が当たるんだよ。
そういったことを、小さい頃から言い聞かされて
嘘は、ダメ!
悪いことしたら罰当たる!
そう擦り込まれて育ち、今を生きているわけですよね。
だから、ほとんどの人は、あからさまに悪いことして生きるなんて道は、選ばないはずです。
ですが、悪いことをしている意識が無い場合もあって、
悪いことをしている意識が無い人も、いるわけです。
例えば
弱い者いじめ
動物や子供やお年寄り、立場の弱い人に対して、
暴言を吐いたり、偉そうな態度をとって馬鹿にして見下してみたり
ネットの誹謗中傷も、その類かと思いますが、
必ず、あとから自分に返ってくる「因果応報=罰が当たる」わけですよね。
人の心を傷つける行為
「そんなつもりは、無かった」
「そんなつもりで言ったわけじゃない」
と、自分を弁護しなくてはならなくなることは、
いつか天からの罰が下されるわけですよね。
言葉は、知らず知らずに人を傷つけていますからね、
自分は言われて平気でも、相手にとっては、とっても悲しい言葉かもしれないな・・・
という、相手の心を汲み取る配慮、優しさが必要だということですよね。
そして
「そうか、そうかもな、そうだな・・・」という聞く耳が、有るか無いか。
自分は正しい
自分は間違っていない
そういった言動や思考もまた、相手を傷つけているということです。
それから
自分は悪くないし、悪いのは相手で、その人が痛い目に合うには、どうしたらいいか・・・
そんなことばかりを考える人も、やっぱりいずれ痛い目に合うわけです。
あいつのこと、ギャフンと言わせたい!
あいつに、とことんイヤな思いをさせたい!
「人を呪わば穴二つ」
イヤな事をされて、自分もイヤな仕返しを思いつくあたりは、
「同じ穴のむじな」ということです。
仕返しを思いつくのは、次元が低い証拠で、自分もイヤな人間になっているということですよね。
自分の心も汚れてしまうし、良い気持ちなんて一つも残らないわけです。
そんなふうに、
思いやりが無く、人が傷ついても悲しんでも、全く気にならないという人。
相手が痛い目に合いますようにと呪う人。
いつも悲観的でネガティブで、被害妄想強めな人。
いつも口から出る言葉は、悪口や嫌味や愚痴ばかりな人。
そこに幸せは、来ないわけですよ。
いずれ自分の周りから人がいなくなって、味方も居ない状況になるし、
助けてくれる人も居なくなる。
話を聞いてくれる相手も居なくなるし、喜びもなくなってしまう。
そういった罰が当たるわけですね。
そう考えると、
人には優しく
素直な気持ちや聞く耳を持ち
笑顔と感謝で接することで
罰が当たるどころか、どんどんと幸せが舞い込むのだろうなと、道子は考えます☆彡
本当に「罰が当たる」ということ、ありますからね。
息子が、まだ小さいときに、近江神宮の階段で急にトイレに行きたいと言いだして(汗)
横道の木の下で「立ちション」させたことがありました。
「あー!神様仏様ごめんなさい!」と、ものすごい罪悪感を感じました。
その直後に、駐車場から車が動かなくなって、レッカーを呼ぶという始末・・・
後ろめたいことをすると、こうやって罰が当たるんだな・・・と思いましたよ。
トイレまで我慢ができないような小さな子供のしたことだけど、
車の故障も、たまたまかもしれないけど、
前もって行かせたら良かったなと思ったし、罰当たりなことしたと思っています。
天の神様は、いつでも私たちの行いを、見ていますよ~☆彡
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