成人の日・おめでとうございます

今日は、成人の日でしたね。


毎年この日には、自分の成人式を、思い出します・・・


私の成人式は、最低最悪のものでした。


◎◎年前の成人式は、仕事で欠席。

一緒に行こうねと約束をする友達も、会場で会いたい友達もおらず。


会場に行ったとしても、惨めな思いするだけだなと、

仕事していたほうが、よっぽどマシでした。



少ししてから、写真だけでも残しておこうか・・・と思い立ち

いずれ、もし自分の子ができたときに

「お母さんの成人式の写真見せて~」って言われたとき

写真すらないのは、やっぱり惨めだよなと。


自分でレンタル着物を探して、写真館を予約して・・・

それも、なんだか惨めだった。


すでに家出から2年経っていて、

頼る親族もいませんし、誰とも連絡していなかったし

全て自分でやりました。



そのときの写真を、数年後に見たとき(30代の頃だったかな?)

その酷い表情に、自分で驚きました!!


驚愕とは、まさに!!


顔色も悪いし、目つきも悪い。

写真館のカメラマンさんは、どんな気持ちだったかな・・・


晴れ着を着た最悪の表情の成人の祝いの写真。



しばらく押入れの奥に仕舞い込んでいたけど

あるとき、過去の写真や、卒業アルバムなどと一緒に処分しました。


なんの後悔もないし、取っておけば良かったなと思う物は、何一つ無いです。

スッキリ!


ちょうど大運天中殺の出口だったので

それで良かったし、次の自分の本当の人生に進めた気がしました☆彡




私は、昔から思っている持論があるんだけど

20才前後での出来事って、その後の人生を大きく左右するんじゃないかなって。


今の若い子を見ていても

ちょうど高校を卒業して、進学するか就職するかの頃から

2年ほどの間の出来事や、自分の行いって

とっても大切な気がしています。


とくに、女の子は、デキチャッタ・・・とか、彼氏にボロボロにされるケースも

この年頃に多い相談でもあります。


20才前後の生き方

安易に自分の人生を決めないで欲しいなと、

生き方や、人生の進み方の選択は、

どうか早まらないでねと、願うばかりです。



私も、その頃の生き方は、最悪でした。


もう、あまり鮮明に覚えていないけど

成人式の前後あたりには、彼氏に首絞められて

狭いワンルームで冷蔵庫がぶっ飛んでくるような生活でした。爆笑


人(男)を見る目が無かったんですよね・・・


かたや、幸せに暮らす同級生もいるしね。


その差は、なんだろうと、今でも考えます。


単純に「生まれもっての宿命(癖)」なのか・・・?


やっぱり、育った環境だよな・・・!

と、道子は、強く思います。


しっかり巣立てるようになるまでは

(少なくとも成人式や大学卒業する年齢まで)

親が、しっかりと愛情を持ち続けることが大切!


もし我が子が、身強であろうと、離郷運があろうと

慌てて育て、厳しく育てようなんてしないで良し!


どうせそのうち社会でもまれますから!

そこで厳しさを味わえばいいんです!


という持論。



親の言いなりなんてならなくてもいい。

だけども、

自分の言葉を伝えられる関係や

その言葉を受け取ってもらえるという信頼関係があってこそ♡



どんなに親が

「可愛がってやった!」

「お金も愛情も、かけてやった!」

と言ったところで、

それが一方的な「したやった!」であれば

子供の心の芯には、伝わらないでしょう。


そして、どんなに心通じる親子であっても

「その時」が来れば、子は、巣立とうとしますから

結局は、宿命通りに生きようとするのだろうけど

生き方を強くするのは、やっぱり「愛情の貯金」だなと、道子は強く強く思います。



私と夫は、とても似たような宿命を持ち、そのように生きてきているのだけど

決定的に違うのは「育った家庭環境」


同じ星でも、稼働の仕方が全く違った。
同じ宿命でも、感じ方が全く違った。


夫も、それなりに苦労や酷い目にも合っているようだけど

でも、どこか「心まで汚れていない」感じは、

愛情たっぷりに育てられたからだろうなと思う。


それでも、ここで問題になるのは

親の宿命(癖)


偏った愛情を注いでしまったり

愛情と過干渉を、はき違えていたり


一人の人間が形成される要素って

本当に、いろいろ、物凄いたくさんの影響があるなと思う。



それでも!それでもね!やっぱり!やっぱり!

子供が大人へと成長していく中で

大人(親)との関わりは、とてつもなく大きなものだと思うから

どうか子供たちが、大人(親)の大きな大きな愛を

たくさん、たくさん感じられると良いなと、心から思います。



私の惨めな成人式の思い出や、これまでの経験は

自分にとって必要なことだったし

それで良かったんだと、

今は

思えるけれど

「惨めだ・・・」

「なにくそ!クソッタレ!」

っていうエネルギーは、私を成長させてくれるものだと

今は

分かるけれど


「みじめだな・・・」

という感情は、少なくて良かったと思う。


天の神様に与えられた調味料(宿命)
配分・配合を、間違えちゃってたよな・・・




今日も、日本のどこかで

「自分の成人式は、最低最悪で惨めでしかなかったな」

と思っている人がいるかもしれない。


どうか「みじめ」なだけで終わらせないで

それを、生きる原動力にして

いつかキレイサッパリ今日の自分と決別できる日がくるように

道子は、陰ながら応援していますからね☆彡


成人、おめでとう。


虹色道子

タマシイに喜びを ココロ軽やかに その行く道を虹色に