過去の写真が
思い出の一枚としてでてきました♡
滋賀に嫁ぎ、義実家へ向かう車中で撮った一枚です。
このとき、夫の姪っ子ちゃん(当時まだ小学生)も一緒にいたのですが
私が「すご~い!すご~い!」と目に入りきらない雄大な景色を、パチリパチリと撮影していると
姪っ子ちゃんが笑いながら(呆れながら?笑)
「ただの山やん」
と言いました。
なるほど~~~~!
そうだよね!ただの山だね!
車中みんなで大笑い。
でもね姪っ子ちゃん
姪っ子っちゃんが、東京に遊びにきたとき
私は、みんなを乗せて首都高を走り、
スカイツリーを見に行って・・・
そのときの姪っ子ちゃん
見えるビル、ビル、ビルに
「すご~~~い!東京や~!」
と、一生懸命に写真を撮っていたじゃない?
「ただのビルなのに」
その気持ちと同じなのよ♡
だから、今は、この景色を楽しませて♪
いつか、この景色も
「ただの山」と思う日がくるのかな~・・・
なんて思っていた、あの頃のこと
とても鮮明に覚えているなぁ・・・
鮮明に、その時のことは覚えているのだけど
私も「ただの山」と思い始めていることに
この一枚を見て、気付きました。
なんで私、この一枚を「すご~い!」って撮ったんだろ?
くらいに思っちゃいましたよ。(笑
人って、勝手なものだなと思うし
人って、慣れるものなのだなって思う。
そして、なにより
自分にとって大事なモノが、人にとっても大事なモノとは限らないし
人にとって素敵なものが、自分にとっては素敵だと感じなかったり
人って、その至極当然のことを、忘れがちだなと思います。
例えば
この景色を、素敵だ!すごい!雄大だ~!
と喜び写真を撮る人がいる
でも、それを
「え、私なら、そんな写真撮らないけどね」
「え、なんでそんな写真撮るの?」
という気持ちは、必要かな?と...
人が、どんな色が好きでも
「え、私は、その色、嫌いだわ」
という感覚は、そうかもしれないけど、
相手の「この色が好き」という気持ちを否定してまで
自分の想いを掲げる必要は、無いように思う。
「私だったら買わない」
「私だったら行かない」
などなど
それは、それで良いと思うけど
その人は、買いたいし、行きたいのだから
それに自分を重ねて否定するのは、どうかなと思う世の中がありますね。
同じ気持ちになる必要もないけど
否定する必要もないよね♡
互いの気持ちを尊重しよう
なんて言うけれど
全部が全部、尊重が出来ないこともある!
だけど
否定しない自分でいよう!
と、思い出の一枚を見ながら、
忘れがちな事を、
あらためて確認出来て良かったです☆彡
あのとき「そっか~!ビルも山も、同じなのか~!」と、言ってくれた姪っ子ちゃんは、
大学生になりました♡
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