昨今は、SNSやインターネットを使って
自分を発信できるツールがたくさんあります。
命あるもの全て
自分がいて相手がいて
自分が発することを
相手が受け止めてくれて
「可愛いね」と声を掛けると、喜ぶ相手がいて
「それムカツク!」と怒れば、ケンカになる相手がいて
この世の全ては陰と陽
自分と誰かの存在で成り立っているということ。
ですから、ネット上で起こる誹謗中傷も
誰かが「私はここに居るんだ!」という訴えなのかなと思うこともある。
かといって、それら全てを受け止めるということは、
宇宙が破壊されることと同じくなわけです。
この世(宇宙)は、引力や重力、無重力のなかで
月と太陽がぶつからないように
宇宙の星たちがぶつからないように
絶妙の間合いや距離を保ちながら
共存し「そこに在る」のだから
「全ての融合」は、不自然で
ぶつかり合うだけの結末となります。
とはいえ、
ぶつかって化学反応を起こして
新しいモノが生まれることもある。
例えば
闘病中の人が、闘病生活を発信することに対して
「更新しなくていいから療養してください」
という想いを抱くことも、間違いではないけれど
闘病中に、心折れそうになることを
誰かに発信する事で
「自分は生きてここに居るんだ!」という強い力になっているのだと
私は、考えます。
言葉や文章で相手に伝えることで
目に見える相手でも、見えなくても
伝える相手がいることで、相手の反応を感じられる。
自分は、ここにいるぞ!と認識できる。
「伝える」ということは
「ここに在って良い」ということ。
「伝える」ということは
「生きている」ということ。
例えばもし
伝える相手が、
誰一人と居なくなったらどうなるか・・・
伝えても伝えても無反応になったら
どうなるのか・・・
存在価値を見失い無気力になり
「生きる意味」
「ここの在る意味」を見いだせなくなります。
私は、こうした「陰陽論」を考えるとき
「火垂の墓」の1シーンを、思い出します。
節子が池の水面で
自分を相手にジャンケンをして遊ぶシーン。
このシーンから「ハッ・・・」と何かに気付いた人がいたら
私がここまで綴ったことも
「この世の全ては陰と陽」ということも
理解できる人だと思います。
兄の清太さんも、妹を失って
自分が「この世に在る意味」が、無くなってしまったのかな・・・
と、そんな気持ちになります。
映画や小説、このブログも、観る人、読む人が
それぞれに何を感じても良いものだと思っています。
火垂るの墓は、実際のところでは、映画の内容や事実に諸説あるようですし、
今回は、映画の真意や作者の想いなどは置いといて、ということで。
良くも悪くも
「伝える相手がいる」ということは
自分が生きている証を自分で感じるため。
「伝えたい」
「聞いて欲しい」
「誰かに話したい」
そんな欲求が無くなったら・・・
無くさないといけない状況だとしたら・・・
今、誰かに、何かを伝えたいと思っている人は
一生懸命に今を生きているということ。
生きているし、これからも生きていきたいんだ!
という証拠。
自分にしか問いかけていない人は
誰かに、その「問い」を話してみてください。
きっと思いもよらない
自分では気付かなかったような答えが見つかるはずです。
私たちは、今日も明日も生きるために
生きたいから
「ここに在って良いよ」と知りたいから
今日も誰かと話をして
関わりをもって
喜怒哀楽を感じるわけです。
誰が何をどう伝えたかが問題じゃなくて
誰に何を言って出す答えが重要なのではなくて
もし「伝えたい気持ち」「分かってもらいたい気持ち」が無くなったら、
それが必要なくなったら、
「自分が終わるとき」だということ。
それほどに「伝える」ということは
生きることに直結しているとさえ感じます。
「人は、一人では生きられない」って言葉
私は、あんまり好きな言葉じゃなくて・・・
「一人でも生きられるわいっ!!」って反発しちゃうの。笑
そう、一人でも生きられるのよ。
一人暮らししてる人だって、たくさんいるしね。
でも、こうして、
私は、伝えたいことを伝えているから、生きられる。
一人暮らしをしていても、
仕事があって会社で人に会う。
買い物に出ればお店の人が居て
SNSには友達がいて
お互いの言葉を伝え合っているからね。
私も、クライアントさんから
「道子さんに聞いてもらって良かった。」と言ってもらうと
そこには「一人ではない状況」が必然的に出来ているから。
「一人でも生きられるわいっ!!」と思うけど
実際には、こうして伝える相手がいるから
道子っていう人間が存在、存続してるんだよね。
どんな言葉を、誰に、どんな気持ちで伝えるかで
自分の心の在り方も変わるし
どんな言葉を掛けてもらうかで、
これからの生き方が変わることもあるよね。
お互い様なんだよね。
「承認欲求」と良く言うけれど
それは、誰もが持っていて当然のものです。
生きているんだから。
生きていこうよ!
そこに居て良いんだよ!
大丈夫、あなたのこと、ちゃんと見ているよ!
私は、こうして伝えたいことが
まだまだたくさんあります。
最後まで伝え切ったとき
「伝える」という責任を全うした感じたとき
そんなときがきたら、
それは、私のお役御免のときかと。
もう伝えることないよ!
あとは、みんなで頑張って!
じゃあね!はい終わり!
バイバイ!と、
私は、私の人生を、そう生き抜きたい。
余談ですが、
私の祖母が亡くなる直前に言い放った言葉は
「どぉでもいいわ」
でした。
そう、もう、どうでも良くなるね。
どぉおおおでもいいんだよ!
分かるよ、その気持ち!(笑
私は、最後に、どんな言葉を伝えるのかな。
楽しみだな☆彡
【陰陽五行伝承士】
虹色道子(にじいろみちこ)
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